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2008/06/28

B'z The Best ULTRA Pleasure

6月18日に発売された「B’z The Best ULTRA Pleasure」を買いました。

Img_6976デビュー20周年のベストです。
妻もB’zの曲が好きで、一緒にお金を出しあって買いました。
20年間、日本音楽界のトップを走り続けたB’zの歴史を語るベストアルバムだと思います。
昔の曲も聴けば懐かしく、その時の思い出がフラッシュバックします。
聴いて、一緒に歌ってストレス発散できます。

妻のベスト3は、「ultra soul」、「ZERO」、「ALONE」だそうです。
でもこのアルバムには入ってない「恋心」がもっとも好きだそうです。

Img_6975私のベスト3は、「LADY NAVIGATION」、「いつかのメリークリスマス」、「裸足の女神」です。
しばらくの間、夜はこのアルバムを聴く日が続くと思います。

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2008/06/25

ナタマメの芽

学級花壇に蒔いていたナタマメがやっと芽を出しました。

5月の連休明けに一度蒔いていましたが、このときは種子に水を吸わせずに蒔いたため、芽を出しきらずに腐れてしまいました。
再度、種子を手に入れ、今度は十分水を吸わせて、6月中旬に蒔きました。
蒔いた12個の種子のうち、1つが芽を出しました。
P1000210やっぱり想像したより大きな芽です。
これからどんどん成長してもらいたいと思います。

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2008/06/23

ブロッコリーのDNA

新学習指導要領の学習内容で、中学校理科は前倒しで来年度から新しい学習内容が入ってくる。

その中で、第2分野「遺伝の規則性と遺伝子」の「遺伝子の本体はDNAである」という学習内容がある。
P1000167それで、DNAを身近なものから取り出して見てみようという実験を行おうと考えた。
DNAを取り出す身近なものとは、ブロッコリーである。

ブロッコリーからDNAを取り出そう
方法

①ブロッコリーを凍らせる。(細胞壁を破壊するため)
②ブロッコリーのつぼみの部分(20g)を削り取って乳鉢に入れ、乳棒で粒がなくなるまで砕く。
P1000165P1000170P1000172
③食器用洗剤(10ml)を入れる。(細胞膜を破壊するため)
④飽和食塩水(50ml)を入れる。(DNAを溶かし出すため)
⑤10分間、静置する。
⑥茶こしペーパーに入れ、さらに上から飽和食塩水(50ml)を入れながら、濾過する。
P1000174P1000175P1000179
⑦ビーカーに緑色の液体が溜まる。
⑧ガラス棒を伝わらせて、エタノール(99.5%100ml)を静かに注ぐ。(DNAを沈殿させるため)
⑨上層のエタノールと下層の緑色の液の境目にもやもやとした白いものが浮かぶ。

P1000191_2

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⑩この白いものがブロッコリーのDNAである。

こんなに簡単な方法で、DNAが取り出せることに生徒はびっくりし、実際にDNAを見ることができるので、遺伝の勉強を興味を持って行うと考えられる。

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2008/06/21

女子バレーワールドグランプリ2008

今年も6月20日(金)から女子バレーボールワールドグランプリ2008が開幕した。

第1戦は、北京オリンピック最終予選でも対戦したカザフスタンだった。
この日は、区の教育懇談会総会があったので、テレビ観戦することができなかった。
それでも勝つだろうとは思っていた。
後で知ったが、最後の第3セットは少し危なかったと思う。
それでも3-0のストレート勝ちを収めた。

第2戦は、昨日アメリカを3-1で下したトルコとの対戦だった。
トルコが強いなんて今まで聞いたことなかったので、この試合も取れるかなと思っていたが、さすがにアメリカを破っただけの実力があった。
日本はセットで常に先行され、第4セットを取り、やっとセットカウント2-2で最終5セットにもつれ込むことができた。
一進一退の試合運びで、集中力が試される試合となった。
後半日本が抜け出し、第5セットを15-12で取り、セットカウント3-2でトルコに勝つことができた。
トルコは日本の上をいくブロックを決め、若さと高さをアピールした。
トルコは、実は北京オリンピックには出場しないそうだ。
他のヨーロッパの国々との競合に、予選で屈したのであろう。
これだけ強いのに、もったいない気がする。

でもこれで日本は2連勝。
日本は、開催国で決勝リーグまで進めるようになっているが、やはりここは実力を見せて堂々と決勝リーグに駒を進めて欲しい。

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2008/06/19

創の状態を見せに

娘が盲腸の手術から退院して9日目です。

学校は期末考査中で、今日、年休を取って、創の状態を見せに、こども病院に行きました。
創とは、盲腸で切った傷口のことです。
絆創膏っていう、あの創のことです。

経過は良好で、来週から運動をしてもよいし、食事制限もなくなりました。
あとは自然に傷口が何もなかったかのように綺麗になることを望むだけです。
案外、早く終わったので、午後から理科の答案の採点と、学年通信、バレー部通信、教育懇談会で報告するサークル活動計画の原稿作りに精を出したいと思います。

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2008/06/18

スコールCM撮影

スコールのCM撮影が、我が校であることになった。

スコールとは、南日本酪農協同株式会社(デーリィ牛乳)から販売している乳性炭酸飲料である。
九州では、よく目にするし、よく飲んでいる商品だ。
そのCM撮影が我が校であることになっている。
1階の廊下を撮影に使うことになっているようだが、どんなCMができるのだろう。
そして、なぜ学校を使うのだろう。なぜ我が校なんだろう。
とにかくどんなCMがテレビ放映されるのか楽しみだ。
撮影は明日、期末考査で、生徒が早く帰宅した頃、生徒がいない状態で行われる。
廊下にぽつんとスコールがある?という映像なのか。

「はーい!(右手を挙げて)」
エキストラは必要ありませんか?
必要なら、エキストラに立候補しますけど…。

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2008/06/17

懐かしい図書室

今日は、区の教育懇談会事務局会がありました。

つまり、区内の自主研究サークルの総会を行うための打合せ準備会議です。
会議の場所は、私の卒業した小学校の図書室でした。
とても懐かしい感じがしました。
小学校を卒業してから、バレーボール大会などで何回か訪れたことはありますが、図書室へ入ったのは、30数年ぶりではないでしょうか。
特に小学校6年生のときに、私は図書委員長をしていたこともあり、書架やカウンター、閲覧机など見れば、一つ一つが懐かしく感じます。
もちろん卒業して30数年経っているので、それら全てがそのままではないでしょうが…。

私がその小学校へ転校したのが小学2年生の頃、図書室は講堂の2階にありました。
木造の古い造りで、図書室へ登る階段はぎしぎし音を立てていました。
怖い感じを少し持ちながらも、放課後図書室へ寄るのが好きでした。
小学校5年生のとき、新校舎が建て変わって、図書室は新校舎の1階の東側へ移りました。
でも私が卒業するまで講堂はそのままで、本が無くなった2階の図書室もそのまま閉鎖されて、寄ることはできなくなりました。
卒業後、講堂は体育館へと建て変わりました。

小学生の頃、本をそれほど読む方ではなかったけど、あの図書室から順番待ちで借りた本や、借りてきて土曜日の午後一気に読み上げた本などが印象に残っています。
今日、図書室に入ったとき、頭の中はそんな30数年前にタイムスリップしました。

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2008/06/14

生き方が変わるオリンピックはすごい

今週、オリンピックに出場した経験のある高校の先生の教育講演を聴く機会がありました。

その高校の先生は、1992年のバルセロナオリンピックに柔道95kg級で出場した甲斐康浩先生です。
バルセロナオリンピック(スペイン)というと、今から16年前、水泳の平泳ぎで、岩崎恭子選手が中学生にして、金メダルを獲得したオリンピックです。
あの時の「今まで生きてきた人生の中で、一番幸せです。」という言葉が印象的です。
他に柔道で、古賀稔彦選手と吉田秀彦選手が金メダルを獲得しています。
日本の金メダルは、この3個だけでした。
柔ちゃんこと田村亮子選手は、初めて出場したオリンピックで残念ながら銀メダルでした。
また、男子バレーボールが6位で、この時以来北京オリンピックまで出場できませんでした。

P1000125甲斐選手は、小学校3年生から柔道を始め、中学、高校と福岡県一、全国一をめざし、その夢(目標)を一つずつ成し遂げ、その結果オリンピックの舞台に立つことができたそうです。
オリンピックでは、7位入賞でしたが、柔道と言えば日本のお家芸であり、メダルを取ることが絶対条件のプレッシャーがありました。
「行きはよいよい、帰りは怖い」
楽しんだ天国のようなオリンピックも日本に帰ってから地獄だったそうです。
オリンピックに行くときの待遇と全然違う、見向きもされない、苦しい経験を味わったそうです。
生き方も、今まで割と順調に進んできて、オリンピックで初めて挫折を味わったそうです。
それからは、「勝ってこそ負けた相手のことを思いやり、謙虚な姿勢を忘れない」ようにしたそうです。
一般人が経験できないオリンピックのことも興味深く話していただきましたが、「何事も素直で礼儀正しく、情熱を持って取り組めば成就する」こと、そして何より「夢(目標)を持って頑張ることの大切さ」を教えてくださいました。
これから、謙虚に一生懸命、仕事やいろいろなことに頑張りたいと思います。
講演を聴いて元気をもらいました。

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2008/06/10

4日で退院

下の娘の盲腸手術から4日経って退院できました。

Gennkann手術が2時間かかったので、退院は1週間くらいかかると思っていましたが、昨日、電話で担当医の先生に聞いてみると、「よく食べているし、痛みも無いようだから」と退院できるように言われました。
思ったより早くてびっくりしました。
昨日早速、一日年休を提出して、今日、朝からこども病院に迎えに行きました。
たった一日で顔色も表情も良く、少し元気になったと感じました。
まだ少しお腹を曲げて歩いている状態ですが、じっとしているんじゃなく運動も大事と言われましたので、小学校には明日から自分の足で登校するようにしています。
まだ激しい運動やお風呂はダメですが、元気になったことが嬉しく、担当医や看護師さんに感謝しています。

病気やケガをして、改めて健康の大切さ、ありがたさを知ります。
自分も無理をせず、健康的に過ごしたいと思いました。

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2008/06/08

一緒に帰りたいけど

今日は、午前中は環境美化運動に精を出しました。

Byousitukaraそれから午後は、どうしても眠くなって1時間ぐらい寝てました。
先週末の疲れが残っていたと思います。
夕方から、子ども病院に見舞いに行きました。
写真は、子ども病院の病室から見た眺めです。
病院は、福岡ヤフードームの近くにあって、福岡タワーも見えるいい景色です。
手術の跡がまだ痛むようで、なかなか力が入らないようです。
ベッドから起きあがるのも時間がかかります。
いろいろ側に居てしてあげたいことがあるけど、月曜日から仕事もあるし、帰ることにしました。
一緒に連れて帰りたいけど、退院までまだ数日かかるようです。
自宅から遠いのが難点で、すぐに会いに来られないのが悔しいくらいです。
看護師さんはいるし、 明日まで一人で頑張ってくれると思います。

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2008/06/07

日本男子バレーにも五輪切符

全日本男子バレーが16年ぶりにオリンピックの舞台に立つことが決まった。

今日、フルセットの末、FIVBランキングが日本より上位のアルゼンチンを倒して、アジアの1位が確定し、オリンピックに行くことが決まった。
最後のプレーは、バルセロナオリンピックにも出場した荻野が相手のブロックを打ち抜いたスパイクが決まった。
選手達や植田監督はもちろん、会場のみんなが歓喜に溢れ、跳び回ったり走り回ったり、実に感動的だった。
今大会では、初戦にイタリアにフルセットの末破れ、嫌な雰囲気の立ち上がりとなった。
でもそこからが、今までの日本とは違うという事を証明してくれた。
オーストラリアやアルゼンチンの試合で、デュースになっても粘り強くレシーブし、コンビネーション攻撃につなぎ、ゲームをものにしていった。

16年ぶりのオリンピック、長い長い16年だった。
その間にバレーボールの人気がだんだん落ち、中学校の部活動では、男子バレー部が各学校で次々と姿を消した。
野球、サッカー、バスケット人気の裏に、バレーは寂しい結果になりつつあった。
でも最近、女子バレーの人気がまた少しずつ出てきた。
日本男子もオリンピックに出場することだし、また男子バレー部復活が各中学校の部活動であって欲しい。

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盲腸の手術

下の娘の吐き気と背中とお腹の痛みは、1日経っても治らず、また病院に行くことになりました。

そして病院を2つ転送されて、福岡市子ども病院で盲腸(虫垂炎)の手術を受けることになりました。
それなら昨日の段階で、わかっていれば本人も早く痛みから解放されただろうに。
また、こちらも看病する時間が一日短くなっただろうに。

Kodomobyouinnいろいろリスクなど説明を受けた後、同意のサインをし、盲腸の手術は午後11時30分過ぎから始まりました。
軽ければ、30分くらいで済むと言われましたが、1時間を過ぎてもまだ終わらない。
本当に心配しました。
腸閉塞などの合併症を起こしてはいないだろうか。
何か難しい手術になって、こんな遅い時間になっているのではないだろうか。
待ちに待ってやっと、午前1時30分過ぎに終わって、無事元気な姿を見ることができました。
と言っても深い眠りに入っていましたが…。安心しました。
説明を聞くと、虫垂は赤く腫れ上がって中には膿が溜まっていたそうです。
切除した虫垂を見せてもらいました。
もうちょっと遅かったら、ひどいことになっていたかも知れません。
でも我慢強く痛みをこらえていました。
それはお医者さんも言っていました。
よく頑張りました。
麻酔から覚める時にまた痛がるかも知れませんが、もう大丈夫だからね。

上の娘を残した自宅に、今さっき帰ってきました。
昨日から今日にかけて、24時間寝ていません。
授業も4時間あったし、部活動までして帰りました。
昼休みに、職員室の机で10分程度うたた寝したかな。
今日は疲れました。

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2008/06/06

深夜の急患センター

昨日午前中、下の娘が学校で気分が悪くなり、戻したそうだ。

すぐにかかりつけの病院に連れて行ってもらい、吐き気止めの点滴などを2本打って4時間かかったそうだ。
帰宅してからも気分は優れず、お腹だけでなく足や背中が痛いと言い出した。
それから何回か吐いて、食事も喉を通らない。
深夜3時頃また吐いたので、午前3時半頃、急患センターに連れて行った。
診てもらって、そこでも点滴1本1時間かかった。
帰宅したのは午前5時頃。
今、寝不足状態です。
でも、こういう急患センターが近くにあるのは、いざというとき便利だなあと思います。
そして下の娘には、早くよくなってもらいたい。

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