2025年1月 5日 (日)

2025年初詣

 今年の初詣は、例年通り芦屋町にある「岡湊神社」に行った。

 

 元旦に弟家族が新年のあいさつに来たので、「岡湊神社」へ行くのは午後からとなった。

 お焚き上げのお札やお守りをもってくるのを忘れてしまった。

 2礼2拍手1礼の後は、御神籤を引いた。今年は吉だった。内容はあまり良い方ではなかった。

 金運のお守りと破魔矢を買った。今年は株式などである程度もうけがないと、ここ数年資産を減らしているので信用取引もできなくなってしまう。今までの赤字を埋め、+200万円くらい手に入れたいものだ。だから金粉入りの金運お守りを買った。この1年ずっと身につけておきたい。

 その後、義父母のところへ寄って、お年賀のあいさつをした。

 今年は、すでに現在勤務している高校での勤続をお願いされた。行事等で授業がなく空いてる日には、回送業の仕事をしたい。

 103万円の壁がもっと上に上がれば、仕事の入れ方も考えたが、すでに大きく140万円は超えている。今更どうしようもないので、稼げるだけ稼いだ方がいい。

 健康と交通安全に気をつけなければいけないので、それをお願いできる神社へ近いうちにお願いに上がらなければならない。

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2024年12月31日 (火)

レンタカー回送業2か月半

 レンタカー回送業を始めて2か月半が経った。

 

 その間、いろんなところへレンタカーを回送し納車した。

 レンタカーは空港近くや大きな駅近くから借りられることが多く、もとの所へ戻さず、借りた人の都合がいいところの店舗に返すから、私たちのレンタカー回送業という仕事が必要になってくる。

 もちろん、空港や大きな駅から別の空港や大きな駅近くの店舗に返すことが多く、2か月半で今まで行ったことがないところへも数多く行った。

 今まで私が、飛行機で東京や札幌、香港やソウル、ブリスベーンに行ったときは、一番近い福岡空港を使っているが、レンタカーはそこからいろいろな所を回り、最終的には私が行ったことがない佐賀空港
や熊本空港、北九州空港、長崎空港に行くので、そこへ納車することがある。また反対にそんなところから福岡空港に戻ってくることもある。

 また、福岡県内でもこの仕事をしなかったら、
一生行かずじまいだったところへも行くことになる。

 西鉄大牟田駅から終点の福岡天神まで電車に乗ったり、北九州モノレール
や筑豊本線に乗ったりもした。県外では豊肥本線や熊本電気鉄道、
熊本での東海大学前から下南部までの産交バスなどにも乗った。

 車の運転自体も楽しくて好きだが、今まで行ったことのない場所やそこに行くまでの
景色が見られて面白いし、感動することもある。
 あとは報酬がもっと増えてくれたらいいのだが、今のところ1時間運転しても700円~800円くらいしかもらえず、一日中運転(実質6時間くらい)しても4000円くらいにしかならないことが多い。

 でも自分の好きな時に働けるし、次はどこに行くのかワクワクする自分がいる。

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2024年12月16日 (月)

凄かー!SUGOCAが戻ってきた

 今日、嬉しいことが起こった。

 

 レンターカー回送業を始めて、今日で2か月になる。

 車を引き取りに行って運転をし、車を所有していた店舗へ納車をする。そして、次の引き取りの車がある店舗へ向かう。

 一日にだいたい2台、時には3台の車を運転している。

 納車を済ませて、次の引き取りの車がある店舗まではJR電車や西鉄電車、西鉄バス、福岡市地下鉄、北九州市モノレールなどを使うが、福岡県外に行ったときは産交バスや昭和バス、佐賀市営バス、熊本市電(路面電車)、を使うこともある。

 その時、JRはもちろん、九州各地の公共交通機関の運賃支払いに使えるのが、SUGOCA(交通ICカード乗車券)である。

 毎日1000円~3000円をチャージして使っていたのだが、引き取り店舗のある最寄り駅で降りたときトイレに行った。手を洗ってタオルハンカチで拭くときに、ポケットに入れていたタオルハンカチを取り出したときに一緒に入れていたSUGOCAを落としたらしい。

 それを納車先の最寄り駅で電車に乗るときに、落としたことに気が付いた。

 仕方ないので、帰宅するときに、また新たにSUGOCAを買って乗車したのだが、落としただろう駅に途中下車してトイレに寄ってみた。どこにもない。改札横の切符売り場の窓口で尋ねてみた。

 駅員「いくらくらい入ってた?」ー私「たしか2600円くらい。」、駅員「この駅には何時頃降りた?」ー私「12時過ぎくらい。」、駅員「それはどこから乗った?」ー私「〇〇駅から」、駅員「◇◇駅から◆◆駅まで乗った?」ー私「はい、今日朝乗りました。」

 駅員「つい先ほど通路に落ちていたと拾った人が届けていましたよ。」よかった。あった。SUGOCAは、ICカード乗車券なので、カードの中に乗車記録が残されていたようだ。私の落としたICカード乗車券ということが証明された。

 きちんと拾った人が届けてくれるとは、さすが日本。凄いぞ日本。凄かー、さすがSUGOCA。

 SUGOCAの中に入っていたのは、2400円分だったけど。

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2024年10月20日 (日)

レンタカー回送業

 レンタカー回送業を10月16日から始めた。

 

 どうしてこの仕事をバイトとして始めたかというと、家計に関するローンや自分の生命保険、車のローンなどが重み、月ごとにプールしていた退職金が減っていき、自分の趣味や少し自由に使えるお金が無くなっていることに気が付いたのがきっかけです。

 今まで少なくとも10年間は、私一人で我が家のローンを抱えていた。他に家や土地の固定資産税もすべて私が銀行引き落としで払っていた。

 食費だけに目を向ける中、今まで退職前はもらっていた給料が指定銀行に振り込まれ、そこから引き落としされていたので何の違和感も持たないままだった。ただ最後の5年間はどうして働いても働いても預金が増えないんだろうとちょっと違和感は感じていた。

 それは給料が55歳から頭打ちになったからだろうと軽くしか思っていなかった。

 スマホで見つけたレンタカー回送業は、思ったより楽しい。

 車の運転は苦ではないということが第一にあるが、行ったことのない場所へ車を回送して、その途中の景色を楽しむことができる。

 最初は、3枚綴りの伝票をもれなく書き上げることに時間がかかり、また傷がないか車をチェックするのにも緊張したが、2回仕事をして少しずつ慣れてきた。

 失敗もあった。

 納車先のモータープールの場所がわからず、うろうろしたこと、燃料満タン納車のときにガソリンスタンドが見つからず、走り回ったこと、納車する車の中に自分のバッグを忘れて、最寄り駅までの間1.6kmの歩きの道のりを1.5往復、傘はさしてたがどしゃ降りでズボンとスニーカーがびしょびしょになったことなど、大変な思いもした。

 報酬は少ないが、すき間時間?にやる仕事なので、少しずつでも手元に残れば嬉しい。(だから、忘れ物を取りに行くときにタクシーを使わず、時間があったのでひたすら歩いた。そしたら途中からどしゃ降り)

 学校行事で、これからも授業がない日が時々ある。そのとき、体調がよかったら無理しない程度にレンタカー回送業は続けていくつもりだ。

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2024年10月13日 (日)

2024毒特別展(福岡市科学館)

 福岡市科学館で開催されている「毒特別展」に行ってきました。

 

 動物、植物、鉱物、化学薬品など身近なところにたくさんの毒があることに気づかされました。

 マムシやハブなどの毒蛇、オオスズメバチ、ヒキガエルやフグなどに毒があることは知っていました。また植物でもスイセンやキョウチクトウ、アジサイの葉、ヒガンバナなどに毒があることも知っていました。

 しかし、見ることがないコモドドラゴンやベニテングタケなどに毒があることは知りませんでした。

 毒をもっている動物は相手に毒をもっていることを警告して、食べられてしまわないように結構目立つけばけばしい色の体色をしています。ヤドクガエルの瑠璃色や黄色、アカハライモリの赤色は見事な綺麗な色でした。ベニテングタケのオレンジ色も綺麗でした。

 他にはハブやオオスズメバチ、イラガの拡大模型などもあって、その迫力を感じます。

 絵画や化石などの展示会とは違って、なるほどとうなずくようなしくみや体の構造なども分かって、別の角度から見たおもしろい毒の特別展でした。

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2024年9月30日 (月)

市地域対抗男女混合9人制バレーボール大会で今年は惜しい準優勝

 9月29日(日)にバレーボール大会があった。

 

 私は、今大会参加で36回大会連続出場となった。

 大学を卒業して就職した年の23歳の時に初出場した。その年、このバレーボール大会は第2回目だった。だから私は、この市のバレーボール大会に初回大会は出場しなかったものの、それからコロナで大会が中止になった2020年~2022年の3つの大会を除いて、今年までずっと出場していることになる。

 途中チームが強い時があって、連続で優勝したこともあったが、優勝したのは37回のうち、7回か8回くらいだろう。

 チームの構成規定は、男性は16歳から20代で2人、30代は2人、40代は1人の計5人、女性は16歳以上だったら年齢制限なしの4人の9人制バレーボールであるが、最近は40代でバレーボールの経験者がおらず、60代の私がいまだに出場を続けている。

 一試合目は1セットを取られながらも2セット目を取り返し、3セット目が競っているところで、同じく出場している私の娘がけがをしてしまった。腰が痛いらしく動けないので、救急車を呼んで私が一緒に乗っていくという事態になったことから、最後のセットを落として負けたらしい。

 二試合目は娘が運ばれた病院から私が試合に帰ってきて出場したので、2セット連取で勝った。

 私のチームのパートは、4チームのリングリーグ戦で我がチームは1勝1敗、私のチームに勝ったチームはもう一試合を1対2で負けてしまい、1勝1敗になったが、セット率で我がチームの方が上になり、準優勝となった。

 娘は男性のスパイクを取るのが苦手で、怖がって腰が引けてしまい、けがをしてしまったが、来年はできれば出たくないそうだ。

 いろいろあったバレーボール大会だったが、頑張った分、準優勝でいい思い出になったし、来年も頑張るぞというモチベーションになっている。

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2024年8月21日 (水)

テレビ放映で気になる「ら」抜き、「さ」入れ言葉

 先々週までの約2週間は深夜眠い目をこすりながら、パリ2024オリンピックの競技をテレビで見て応援した。

 

 オリンピックの競技の中で、努力の甲斐あってメダルを手にした選手のインタビューも何回も視聴した。

 そのインタビューの中で、アナウンサーが「日本に帰って何が一番食べたいですか?」と質問したとき、選手は「日本に帰ってきて、まだ〇〇を食べれてないので、〇〇を食べたい。」と答える場面があった。

 「食べれてない」は「食べられてない」だろう。この場合、「ら」を入れると受け身のように聞こえるから、可能の「できてない」を表現するのに「ら」抜きになったと思われるが、正しくは「食べられていない」だろう。

 また、オリンピックの舞台とは違うが、テレビを見ていると街頭インタビューを受けた人が「見ることができてない」という意味の言葉を「見れてない」とか「着ることができてない」という意味の言葉を「着れてない」、「電話を掛けられずにいる」という意味の言葉を「電話を掛けれてない」と言っている。「浴衣を着れる」といった場合、それは「着れる」ではなく「切れる」になってしまい、服をはさみなどで切ってしまうということを意味します。正しくは「浴衣が着られる」と「ら」抜きではない使い方をしなければならない。

 また、丁寧な言葉遣いをしようとして言ったのだろうが、「見せていただく」を「見させていただく」と、今度は「さ」入れ言葉になっている。

 テレビでは、正しく「ら」を入れた言葉や正しく「さ」を抜いた言葉としてテロップで流れているが、インタビューされた人は後でそのテレビ放映を見て、自分の言葉の使い方が間違っていたと反省しないのだろうか。テロップで言葉を訂正されて恥ずかしいと思わないのだろうか。

 これを言葉が商売道具のアナウンサーが「ら」抜き、「さ」入れの言葉を使ったら、おかしくて仕方がない。でもそういうアナウンサーも実際にいる。お昼のニュース番組で司会をしているフリーアナウンサーのM氏は、番組の中で必ず2~3回は「食べれた」「かけれた」「見れた」などの言葉遣いをする。聞いているとこちらがいらいらする。元はアナウンサーなのにそんな言葉遣いをして腹立たしくもなる。それで今までに3回ほどメール投書して、「ら」抜き、「さ」入れ言葉を使わないように指摘したことがある。でも、その投書を本人でもスタッフでもいいから読んだのだろうか。いまだにM氏は正しい言葉遣いができていない。

 アナウンサーだけでなく、テレビに出るような著名な弁護士、コメンテーター、司会者、評論家、タレントなども「ら」抜き、「さ」入れのオンパレードでしゃべっている。

 言葉は時代とともに流行り廃れがあるのはわかっている。「ら」抜き言葉の方が、可能の意味で言ってるのか受け身の意味で言ってるのか分かりにくい場合に、間違いなく可能の意味で使っているということを伝えられそうだということも分かっている。でも現時点での正しい日本語はある。テレビでは正しい言葉がテロップに流れるので、日本国民は正しい日本語を使うように努力してほしい。「ら」抜きや「さ」入れ言葉を使うと恥ずかしいと思うような、正しい日本語を話すことが大事と思うようなテレビ番組やテレビでの呼びかけがあってほしいと思う。

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2024年8月17日 (土)

パリ2024五輪メダル獲得総括

 7月26日から8月11日までの17日間、パリ2024オリンピックが開催されました。

 

 日本代表の選手の皆さん、お疲れさまでした。そしてたくさんの感動をありがとうございました。

 私が、パリ2024オリンピックが始まる前に予想したメダル獲得数について総括したいと思います。私は、金メダル16個銀メダル15個銅メダル30個の合計61個のメダル獲得を予想していました。

 結果は、金メダル20個銀メダル12個銅メダル13個の合計45個でした。

 国・地域別のメダルランキングでは、日本は第3位でした。これは快挙じゃないでしょうか。1位のアメリカ、2位の中国に次いで3位です。4位オーストラリア、5位開催国のフランス、6位オランダ、7位イギリス、8位韓国と続きます。東京オリンピックで5位、リオオリンピックで7位でしたから、ここ最近では素晴らしい成績だったと思います。金メダルの数は予想していた数より多かったので、びっくりしているわけですが、どの競技もメダル獲得を期待して、メダルの合計数は予想の方が多くなっていました。それに金メダル確実と思われた選手が早い時点で試合に敗れたりして、オリンピック本番の恐さを思い知らされました。それでは競技別に総括していきます。

 アーティスティックスイミングは、予想1個(銅1個)⇒✕結果0個。チームが5位、デュエットが8位でした。新ルールがなかなか浸透していなかったようです。チームは途中までは良かったのですが、最後のアクロバティックルーティンの点数が伸びませんでした。

 競泳は、予想6個(金1個銀2個銅3個)⇒✕結果1個(銀1個)。男子400m個人メドレーで松下選手が銀メダルを獲得しました。同じ種目の瀬戸選手は7位でした。他に男子800mリレーが7位、女子400mメドレーリレーが5位、混合400mメドレーリレーが8位、男子100mバタフライの水沼選手が8位、男子200m平泳ぎの花車選手が5位、渡辺選手が6位、男子200m自由形の松元選手が8位、男子200m個人メドレーの瀬戸選手が7位、女子100mバタフライの平井選手が7位、女子200m平泳ぎの鈴木選手は惜しくも4位、女子400m個人メドレーの成田選手は6位でした。競泳日本代表最年長の鈴木選手は惜しくも4位となり、自分ではまだまだ行けそうだということで、競技続行を決意しています。

 アーチェリーは、予想2個(銅2個)⇒✕結果0個。混合団体はベスト8まで行きましたが、惜しくも敗れてしまいました。

 陸上は、予想4個(金1個銅3個)⇒✕結果1個(金1個)。女子やり投げで北口選手が堂々の金メダルを獲得しました。他は男子400mリレーは5位、男子1600mリレーは6位、混合競歩リレーは川野・岡田組が8位、男子20km競歩は池田選手が7位、古賀選手が8位、男子110mハードルは村竹選手が5位、男子3000m障害は三浦選手が8位、男子走り高跳びは赤松選手が5位、男子マラソンは赤﨑選手が6位、女子マラソンは鈴木選手が6位。北口選手の金メダル獲得をピタリと当てました。

 バドミントンは、予想3個(銀1個銅2個)⇒〇結果2個(銅2個)。女子ダブルスの志田・松本選手(シダマツペア)が銅メダル獲得と混合ダブルスの渡辺・東野選手(ワタガシペア)も銅メダルを獲得しました。女子シングルスの山口選手と大堀選手はどちらもベスト8で終わりました。女子ダブルスのシダマツペアと混合ダブルスのワタガシペアの銅メダルをピタリと当てました。

 ブレイキンは、予想3個(銀2個銅1個)⇒✕結果1個(金1個)。湯浅選手(AMI)が金メダルを獲り、初代女王になりました。半井選手(シゲキックス)は4位、福島選手(AYUMI)はベスト8でした。

 自転車は、予想2個(銀1個銅1個)⇒✕結果0個。男子BMXフリースタイルで中村選手は惜しくも5位となりました。東京オリンピックが5位だったので、パリオリンピックではメダル獲得なるのではないかと思われましたが残念な結果になりました。

 サッカーは、予想2個(銀1個銅1個)⇒✕結果0個。男女ともメダルが獲れるのではないかと予想していましたが、男子は金メダルを獲得したスペインに0-3で敗れベスト8、女子も同じく金メダルを獲ったアメリカに0-1で延長の末敗れベスト8で終わりました。組み合わせが違っていたら、メダルを獲れたのではないかと思います。

 フェンシングは、予想3個(金1個銅2個)⇒◎結果5個(金2個銀1個銅2個)。男子フルーレ団体が、男子エペ個人の加納選手が、男子エペ団体が、女子フルーレ団体が、女子サーブル団体がと東京五輪から躍進した。他には男子フルーレ個人の飯村選手が惜しくも4位。金メダル確実と思われていた女子サーブル個人の江村選手が準々決勝で敗れる波乱があり、どうなることかと思いましたが、無事団体では銅メダルを獲りました。予想は女子サーブル団体ががピタリと当たりました。

 体操は、予想3個(金2個銅1個)⇒◎結果4個(金3個銅1個)。男子団体が悲願の金メダル奪還。男子個人総合で岡選手が、岡選手は種目別でも鉄棒で、平行棒でを獲得しました。他には男子個人総合6位に橋本選手、男子種目別鉄棒7位とあん馬6位に杉野選手、男子種目別平行棒6位に谷選手が入りました。女子は、団体が8位、種目別ゆかで岸選手が7位になりました。男子団体がをピタリと当てました。

 トランポリンは、予想1個(銅1個)⇒✕結果0個。森選手がを取ると予想していましたが、6位に終わりました。

 柔道は、予想10個(金6個銀3個銅1個)⇒✕結果8個(金3個銀2個銅3個)。金メダルを獲得したのは、男子66キロ級の阿部選手、81キロ級の永瀬選手、女子48キロ級の角田選手の3選手、銀メダルを獲得したのは、男子90キロ級の村瀬選手と混合団体、銅メダルを獲得したのは、男子60キロ級の永山選手、73キロ級の橋本選手、女子57キロ級の舟久保選手の3選手だった。金メダルを予想していた混合団体が獲れなかったこと、それから男子のウルフ選手、女子の阿部選手、素根選手は金確実と思いましたが、残念な結果になりました。

 セーリングは、予想1個(銀1個)⇒◎結果1個(銀1個)。混合470級で岡田・吉岡組が銀メダルを獲得しました。これは予想とピタリ一致しました。

 スケートボードは、予想5個(金2個銀1個銅2個)⇒△結果4個(金2個銀2個)。男子ストリートで堀米選手が2連覇の金、女子ストリートで吉沢選手が、赤間選手が、女子パークで開選手が2大会連続の銀。他には男子ストリートで白井選手が惜しくも4位、女子ストリートで中山選手7位、女子パークで草木選手が8位でした。堀米選手、開選手にメダル獲得の期待をしていましたが、見事にメダル獲得となりました。

 スポーツクライミングは、予想3個(金1個銅2個)⇒✕結果1個(銀1個)。男子ボルダー&リードで安楽選手が銀メダルを獲得しました。女子の森選手は4位でした。ただ、小柄の森選手にとって、ボルダーラウンドの第1課題のスタートが高い位置にあってつかめない状態がありました。この第1課題は0.0点に終わり、ボルダーラウンドは7位になりました。リードラウンドが1位だっただけにメダルの可能性が大いにあったのに、ボルダーラウンドの第1課題はスタートさえさせてもらえないという厳しい課題で、これが公平だったのかどうか疑問です。

 サーフィンは、予想1個(銅1個)⇒✕結果0個。五十嵐選手に2大会連続のメダルを期待していましたが、結果は稲葉選手のベスト8が最高順位でした。

 卓球は、予想4個(銀2個銅2個)⇒✕結果2個(銀1個銅1個)。女子個人で早田選手が、女子団体で銀を獲得しました。男子が振るいませんでした。男子シングルスの張本選手はベスト8でしたが、準々決勝で金メダルを獲得した中国選手と3-4で惜しくも敗れてしまいました。男子団体は4位、女子シングルスの平野選手はベスト8、早田・張本組の混合ダブルスは、銀メダルを獲った北朝鮮の選手に初戦敗退と予期せぬ結果となりました。早田選手と女子団体でメダルが獲れると予想していたのは当てました。

 バレーボールは、予想1個(銀1個)⇒✕結果0個。男子が銀メダルを獲ると予想していましたが、準々決勝で2-0とイタリアにリードしながら、まさかの逆転負けを期してしまい、ベスト8に終わりました。

 レスリングは、予想6個(金2個銅4個)⇒〇結果11個(金8個銀1個銅2個)。金メダルを獲得したのは、女子5の藤波選手、57キロ級の櫻井選手、62キロ級の元木選手、76キロ級の鏡選手、男子フリー57キロ級の樋口選手、65キロ級の清岡選手、男子グレコローマン60キロ級の文田選手、77キロ級の日下選手の8人、また銀メダルは男子フリー74キロ級の高谷選手、銅メダルは女子50キロ級の須﨑選手、68キロ級の尾﨑選手でした。予想をはるかに超えるメダル奪取でした。他に男子フリー86キロ級の石黒選手は惜しくもベスト8止まりでした。予想では男子の文田選手、女子の須﨑選手、藤波選手、桜井選手、尾崎選手、鏡選手に期待していましたが、みんなメダルを獲ってくれました。

 メダル獲得の予想をしなかった競技にも、メダル獲得の快挙がありました。

 飛び込みは、男子高飛び込みで玉井選手がこの種目日本初の銀メダルに輝きました。6本目の飛び込みは波しぶきがほとんど上がらず、99.0の高得点をたたき出しました。

 馬術は、総合馬術団体で日本が92年振りにメダル獲得をしました。メダルの色はです。他に総合馬術個人で、戸本選手が5位、大岩選手が7位になっています。

 ゴルフは、男子で松山選手が銅メダルを獲得しました。女子では山下選手が4位タイでした。

 近代五種は、佐藤選手が日本で初めて銀メダルを獲得しました。

 今回のパリ五輪は、強化がうまくいった競技、そうでなかった競技がうかがえました。皮肉を言えば、日本のお家芸だった柔道はレスリングに変わり、剣道は狭義にはありませんが武士道から騎士道に変わったような結果でした。それにしても球技はどれも残念な結果に終わりました。私のメダル獲得予想は、種目、選手、獲得メダルまで、すべてピタリと当てた競技は5つありました。

 今回の大会は、コロナが収まって2大会ぶりの有観客の中での競技でした。テレビで見ていても観客席からの声援が聞こえてきて、臨場感が溢れていました。選手の方たちもその中で自分の力を出し切ったと思います。やはり一生懸命に取り組んでいる姿は感動を与えてくれます。自分ももっと頑張らなければと勇気をもらえます。またもう少ししたら、パラリンピックが始まります。パラリンピックの選手の皆さんも力の限り頑張ってもらいたいと思います。

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2024年8月13日 (火)

島根1泊家族旅行

 家族4人で島根県へ一泊旅行をしました。

 

 私が一泊二日の計画を立て、妻がホテルを予約しました。

 今回の旅行で主に行ったところは、1日目が島根県立古代出雲歴史博物館と稲佐の浜、2日目が出雲大社と松江城それから足立美術館です。

 すべて私の車の運転で全行程を回りました。

 8月11日(日)、8:14に自宅を出発し、高速道路に乗って最初の休憩は美東SAで約40分ほど早く到着しました。出発が15分早かったことと、お盆の帰省とは逆方向の上りだったことが幸いしました。

 そして約1時間早く安佐SAに着き、昼食を食べました。

 最初の目的地である島根県立古代出雲歴史博物館には、1時間半早く到着することができました。だから博物館を回ってみたり、お土産を買ったりする時間が十分ありました。
 博物館内で圧巻だったのは、出土した青銅器(剣や銅鐸、銅鏡など)が壁一面に展示されていたことです。また、昔の出雲大社の想像模型がいくつもあったことです。長い階段のはるか上の方に社がある形などがあり凄かったです。
 お土産には、島根にまつわるクリアファイルを購入しました。

 次に稲佐の浜に行きました。
 日本の渚100選にも入っているパワースポットで、ここの渚の砂を採取して明日出雲大社の素戔嗚社で砂の交換をする予定です。波が寄せてきたときの渚の砂を採取するということで少し難しかったです。

 その後、出雲市駅近くのセンチュリオンホテルに泊まりました。夕食は付いていなかったので、19:30頃からホテルの外に出かけ、夕食が食べられるところを探しましたが、どこも予約が入っていて満室で、やっと丸善水産という居酒屋で夕食にありつけました。ホテルに戻ったのは21時を過ぎていました。大浴場に浸かったのは23時過ぎになりました。

 翌朝、朝食を早めに済ませ、予定通り8:30にホテルの駐車場を出て出雲大社へ向かいました。

 混んでいたこともあって、出雲大社に着いたのは5分遅れの8:55。

歩いて中に入って行きました。出雲大社は縁結びの神様である大国主大神を祀る日本随一の古社で、境内の松や神殿の奥にある森を見ると、背筋がピンとなるような雰囲気がありました。拝殿奥にある素戔嗚社で、稲佐の浜で採ってきた砂を新しい砂と交換していただきました。その後は、御神籤を引いたり、お札を購入したり、御朱印を書いていただいたりしました。

 それから行った松江城はちょうど予定通りの時間になり、駐車場に停めた後、ろんぢんという洋食屋で昼食を食べました。なかなか雰囲気のある老舗の洋食屋さんでした。

 昼食を済ませて、慶長16年(1611)に築城され、全国に12城残った現存天守の一つである松江城に登閣しました。上に行くほど急な階段を上らないといけませんでしたが、一番上の天守閣は風が通っていて涼しかった。東西南北どの方角もはるか遠くを見下ろすことができました。城の堀を行く遊覧船もあったので、次に行くときは堀の方から城を眺めるということもいいかなと思いました。

 城のすぐ近くにある島根観光物産館でお土産を買いました。今回、しじみせんべいやシジミ汁の元、お菓子などを買いました。ここの2階には瑪瑙で作られた勾玉や和紙の便せんなど工芸品もたくさんありましたが、先立つものもなく残念ながら購入を諦めてただ眺めるだけでした。

 最後の目的地である足立美術館には、15分遅れの15:54に着きました。

 この美術館は枯山水庭や白砂青松庭など日本庭園が素晴らしくきれいで有名な所で、ぜひ行ってみたいところでした。また、横山大観の日本画や魯山人の作品も数多く集めていて、見応えがありました。
 横山大観の紅葉は、どこかに貸し出しているのか見られませんでしたが、他の有名な作品など感心しながら見ることができました。

 ここでは記念に、白砂青松庭の四季の写真が載ったクリアファイルを買って帰りました。最近は旅の自分へのお土産にクリアファイルを買うことが多くなっています。小学校の時は、絵葉書やペナントだったものが、中学校時代には小さな置物に変わり、そしてキーホルダーに変わり、今ではクリアファイルになっています。
 美術館ではじっくり見ることができた代わりに、出発時間が20分遅れの17:32になってしまいました。

 帰宅予定時間は、サービスエリアの夕食を食べる時間を含めて、24:00を超えそうです。しかし、もう一つ寄ることにしました。それは帰り道から5分ほど外れたところにあったのですが、奥出雲にあるテレビドラマ「ⅤⅠⅤANT」に出てくるノギの家として収録された櫻井家住宅と櫻井家に隣接する櫻井家の歴史資料館「可部屋集成館」です。もうすでに閉館になっていましたが、外から写真を撮りました。

 帰り道、安佐SAには10分遅れの19:49着、美東SAには40分遅れの22:30着、そして帰宅したのは35分遅れの00:14でした。

 車の運転で疲れましたが、暑い中とても快適なドライブでした。旅行も初めて行ったところが多い割には計画通りで進み、とても楽しい家族旅行になりました。走行距離900.8km、平均燃費22.1km/Lでした。

 

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2024年8月 6日 (火)

夏のジェットコースター株

 昨日、日経平均株価が暴落し、過去最大の下げ幅を記録しました。

 

 日経平均株価は、8月に入ってから昨日の5日までに7000円以上値を下げ、5日はリーマンショックやブラックマンデーよりも大きい過去最大の4451円の下げ幅を記録しました。

 原因は2つあるといわれています。

 米国の失業率が予想以上に増え、景気が後退するのではないかという懸念と、日銀が利上げを発表したため、米国との金利差が少し縮まり、円高ドル安傾向になったからだといわれています。

 円高ドル安になると、輸出専門の企業は今まで以上に輸出が減り、半導体関連企業などが経営が悪化するということになるからです。

 そうなると、日本も景気が後退し、日本株が下落しました。

 私が持っている株もすべて下落し、その中で信用取引分は追証をしなければならなくなってしまいました。

 持っている使用取引分の株は、このところの株の下落でマイナスになっていたので、信用買いの株を解消させるのに担保としている持ち株を売ることになってしまいました。

 追証になれば、次の日に株価がもとに戻ったとしても、必ず保証金を上増しして入れるか、信用買いの株を解消して信用で買っている株価を減らして軽くするかのどちらかを選択しなければならず、余分の手持ちのお金がなかったので、担保にしている暴落中の安い持ち株分を売って、補填した形になります。多くの株を売り、5日だけで300万円くらい損をしたような形です。

 

 翌日6日は、日経平均株価は買い戻しの動きが広がり、過去最大の上げ幅3217円高で取引を終えました。

 過去最大の下げ幅を記録した翌日は、過去最大の上げ幅を記録するという、夏のジェットコースターのような2日間の動きでした。

 昨日の株の暴落は何だったのかと思います。持ち株が減っているので、今日は上がったといっても60万円くらいです。

 これからは、信用買いの株も大きさを考えて買わなければならないと思いました。

 今後の米国の情勢次第で日本株は影響を受け、しばらくは不安定な値動きが続くとみられています。

 冷や冷やしながらのジェットコースターは、まだまだ先がどんな道かわからないまま進んでいくようです。

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