5月10日に、祖母の50回忌と伯父の17回忌があった。
いずれも私の父方で、亡父の実家で行われたので行ってきた。
祖母とお別れして、49年も経つと、中学生のときから今までなので、自分自身もいろいろあったなあと感慨深い。
私が小学生のときの夏休みに何日間か泊りに来てくれて、私と弟の面倒をいろいろとみてもらった。
思い出すのは、お昼にインスタントラーメンを作ったときに、袋の裏面に書いてある通りにつくったはずが、ラーメンどんぶりに入れてみるとスープがなみなみになって、食卓に持って行こうと思っても子供の手では熱すぎて持てずにいた。そのときに祖母が片手でひょいと器を持ち上げ運んでくれた。おばあちゃん凄いと感謝したのを覚えている。
祖母は、リュウマチが原因で左手が肘を曲げてお腹にくっつくような形で毎日を過ごしていた。左手はほとんど使えず、右の片手だけで何でもこなす生活だった。だから熱いラーメンどんぶりを両手ではなく、片手だけで持ち上げたのは、子ども心に凄いと感じたのである。
あまり本家に行く機会もなく(月に1回あるかないか)、行ったとしても祖母と話をすることもなかったので、あまり祖母との思い出も少ないが、そのことだけは強烈に覚えている。
あまり笑顔を見たことはなく、昭和初期を農業をしながら生き抜いた人だから、厳しい人だと感じていた。それは父に受け継がれ、私は父の厳しさと時に受ける愛情で育てられてきたと思っている。
伯父は父の長兄で、やはり厳しい人だと感じていた。
祖母の子供で、江戸時代から続く農家の長男なので、自然の厳しさや時代の厳しさを体感した人だから、そうなるのも当然だと思う。
私が伯父とのことで一番覚えているのは、教師として就職して数年経った年の正月の集まりの場面だ。伯父から「教育で大切なものは何だ。」と問われ、私は「信頼です。」とその時に答えた。「じゃあ、泥棒や犯罪を犯した人に教育は通じるのか?」とさらに問われ、内心気持ちを切り替え、立ち直ろうとして人の教えを素直に受け入れようとする人は、教える人を信頼して付いていくのではないかと私は考えたが、なかなか説明することもできなかったので、言葉が止まった。その後、伯父はその場を離れ2階の自分の部屋に行ってしまった。
父方の正月の集まりは、父の実家に行き、父の兄弟やいとこ同士が集まって新年のあいさつを交わし、お昼の食事会ではお酒を酌み交わしながら正月料理を食べることになっていた。その中では、あちらこちらで自分の考えを戦わせることが起こる。私は伯父に自分の考えを伝え納得してもらうところまで行かずに終わったことを少し悔しく思っている。
その後、数年は正月に顔を合わせることはあったが、あの時みたいに自分の考えを言い合うことはなかった。そのうち体の調子がよくないことを理由に、伯父は正月の集まりの主催者にもかかわらず、みんなの前に顔を出すことはなかった。そして何年も顔を見ることもなく亡くなってしまった。
でも、あの年の帰りの車の中で、私の父が、「教育で大切なことは信頼で正解だと思うよ。」と言ってくれたことが嬉しかった。
そんなことを法事の後の場所を変えての食事会の中で、伯父の長男であるいとこが、祖母と伯父が元気な頃の写真をスライドにして映してくれた時に思い出した。
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