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2025年5月の4件の記事

2025年5月23日 (金)

田川市の三井寺

 田川の三井寺に行った。

 

 特に仏教の信仰心があるわけではないが、この時期、風鈴が飾られていて風になびくと音がさわやかで心地よいだろうという理由で行った。

 小さな寺だが、少し下の方に降りていくとたくさんの風鈴が飾られていた。この風鈴は参拝者が無人販売所で購入して、願いを書き込み、自分で指定された好きな所へ掛けているようだ。

 1時間毎に機械が動き、シャボン玉を飛ばしてくれる。

 風が吹くと、風鈴のさわやかな音とともにシャボン玉が割れずに遠くまで飛んでいく。シャボン玉は光が当たると虹色に輝き、一層綺麗になる。ずっと見ていても飽きない。

 ここだけ時間の経過がゆっくりで、他の世界とは違うように感じた。

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2025年5月18日 (日)

中学校ミニ同窓会

 5月17日、中学3年生のときに同じクラスだった友達が、富山から帰郷するということで、小さな同窓会を開いた。

 

 その友達は、重機メーカーに就職して福岡県を離れ、富山県にずっと行っていた。

 結婚式に友人として呼ばれて富山市に行った時以来、会うのは35年振りくらいになるのではないかと思う。

 もちろん、年賀状のやり取りはずっと続いていて、1年に1回友達の家族の成長を年賀状の写真で知っていた。

 途中、ブラジルや中国に長期出張で単身赴任する時期があったりして、それも年賀状で知っていた。

 今回、定年退職を6月に控えて、今までお世話になった方に挨拶回りをしている途中に地元に寄ったというわけだ。

 富山から数十年前に買ったという愛車のバイクで、大阪、愛媛や宮崎、長崎、広島と、大学時代の恩師や会社でお世話になった方々に会いに行くそうだ。

 地元は、長崎と広島の間で寄ったもので、同窓会には全員中学の同級生が集まった。中学のときの同じクラスだけでなく、高校のときも一緒、または中学のときの同じ陸上部のメンバーなど、計7名が集まった。

 他のメンバーは、中学の大同窓会が開催された時に会っている人もいる。それでも8年振りじゃないかな。

 私は違う高校だが、主に高校のときの話が3割、中学校のときの話が5割、そして就職後や近況の話が2割だった。

 何も遠慮することもないメンバーは、酒を酌み交わし、おいしい料理を食べながらいろいろな話をした。

 その後、中学の同級生がやっている居酒屋へ行き、さらに飲んで交流を深めた。楽しい一夜だった。

 

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2025年5月10日 (土)

祖母の50回忌と伯父の17回忌

 5月10日に、祖母の50回忌と伯父の17回忌があった。

 

 いずれも私の父方で、亡父の実家で行われたので行ってきた。

 祖母とお別れして、49年も経つと、中学生のときから今までなので、自分自身もいろいろあったなあと感慨深い。

 私が小学生のときの夏休みに何日間か泊りに来てくれて、私と弟の面倒をいろいろとみてもらった。

 思い出すのは、お昼にインスタントラーメンを作ったときに、袋の裏面に書いてある通りにつくったはずが、ラーメンどんぶりに入れてみるとスープがなみなみになって、食卓に持って行こうと思っても子供の手では熱すぎて持てずにいた。そのときに祖母が片手でひょいと器を持ち上げ運んでくれた。おばあちゃん凄いと感謝したのを覚えている。

 祖母は、リュウマチが原因で左手が肘を曲げてお腹にくっつくような形で毎日を過ごしていた。左手はほとんど使えず、右の片手だけで何でもこなす生活だった。だから熱いラーメンどんぶりを両手ではなく、片手だけで持ち上げたのは、子ども心に凄いと感じたのである。

 あまり本家に行く機会もなく(月に1回あるかないか)、行ったとしても祖母と話をすることもなかったので、あまり祖母との思い出も少ないが、そのことだけは強烈に覚えている。

 あまり笑顔を見たことはなく、昭和初期を農業をしながら生き抜いた人だから、厳しい人だと感じていた。それは父に受け継がれ、私は父の厳しさと時に受ける愛情で育てられてきたと思っている。

 伯父は父の長兄で、やはり厳しい人だと感じていた。

 祖母の子供で、江戸時代から続く農家の長男なので、自然の厳しさや時代の厳しさを体感した人だから、そうなるのも当然だと思う。

 私が伯父とのことで一番覚えているのは、教師として就職して数年経った年の正月の集まりの場面だ。伯父から「教育で大切なものは何だ。」と問われ、私は「信頼です。」とその時に答えた。「じゃあ、泥棒や犯罪を犯した人に教育は通じるのか?」とさらに問われ、内心気持ちを切り替え、立ち直ろうとして人の教えを素直に受け入れようとする人は、教える人を信頼して付いていくのではないかと私は考えたが、なかなか説明することもできなかったので、言葉が止まった。その後、伯父はその場を離れ2階の自分の部屋に行ってしまった。

 父方の正月の集まりは、父の実家に行き、父の兄弟やいとこ同士が集まって新年のあいさつを交わし、お昼の食事会ではお酒を酌み交わしながら正月料理を食べることになっていた。その中では、あちらこちらで自分の考えを戦わせることが起こる。私は伯父に自分の考えを伝え納得してもらうところまで行かずに終わったことを少し悔しく思っている。

 その後、数年は正月に顔を合わせることはあったが、あの時みたいに自分の考えを言い合うことはなかった。そのうち体の調子がよくないことを理由に、伯父は正月の集まりの主催者にもかかわらず、みんなの前に顔を出すことはなかった。そして何年も顔を見ることもなく亡くなってしまった。

 でも、あの年の帰りの車の中で、私の父が、「教育で大切なことは信頼で正解だと思うよ。」と言ってくれたことが嬉しかった。

 そんなことを法事の後の場所を変えての食事会の中で、伯父の長男であるいとこが、祖母と伯父が元気な頃の写真をスライドにして映してくれた時に思い出した。

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2025年5月 2日 (金)

大分空港待合室ロビーには

 レンタカー回送業で、大分空港に行きました。

 

 大分空港の外に各レンタカー業者がありますので、今までは大分空港の中までは行ったことはありませんでした。

 でも今日は、次の回送まで時間があったので、用足しのついでに大分空港の待合室ロビーに入りました。

 コンビニもあって、お昼のおにぎりやお茶をそこで買いました。

 また少しぶらぶらしてみて見つけたのが、足湯でした。

 さすが温泉県大分です。

 キティちゃんとのコラボや宇宙をイメージした足湯がありました。

 足湯に入るくらいの時間はありませんでしたが、空の旅の疲れを癒すのに、ちょっと時間があれば足湯に浸かるのもいいんじゃないかと思います。

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