カテゴリー「思い出」の4件の記事

2015年8月12日 (水)

日航ジャンボ機墜落事故30周年

日航ジャンボ機が、御巣鷹山に墜落して30年が経ちました。

30年は非常に長く感じますが、あの時のことをまだ鮮明に覚えています。
30年前といえば、私は大学4年生でした。
夏休みの8月12日に何をしていたかというと、私は同級生と一緒に2人で、沖縄・西表島の山の中にいました。
卒論のデータ集めに、西表島のカンピラの滝付近でテントキャンプをして、浦内川とその支流でコナカハグロトンボの生態学的調査をしていました。
電気も通ってない山奥では、夜は早く暮れるので、カンテラの光を照らしながら小川の橋に腰かけて琉球泡盛を飲みながら涼んでいました。
じっと空を見つめると、かすかに動く白い光があります。
これは、人工衛星の光です。
それほど澄んだ夜空の下で、星を見ながら、そしてラジカセでカセットテープを聴きながら、夜を過ごしていました。
当然、情報源はラジオです。
その日か翌日かは忘れましたが、ラジオから日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落したニュースが耳に届きました。
大変なことが起こっているぞということだけが、頭の中でぐるぐる回り、遠く沖縄にいる私たちにはどうすることもできませんでした。
全員亡くなってしまうのだろうか。
何がどうして起こったんだろうか。
信じられない事だけに、疑問が渦のようになっていました。

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2012年8月31日 (金)

この夏校長に喜ばれたこと

今日は、夏休み最後の日、とは言っても9月1日、2日の土日があって、9月3日が2学期のスタートになります。

長いようで短い、忙しい夏休みでした。
夏季休暇を取ったくらいで、研修や学校勤務で年休も半日を1回しか取りませんでした。
校長先生も同じだったようです。

校長先生と談笑をしていたら、この夏休みのある出来事で感謝されたことがありました。
それは8月23日のことです。
この日は、午前中生徒理解の校内研修で、午後から校長も私も理科の教科委員会で出張の予定でした。
その合間のお昼に、以前からウィスコという会社からお願いされていたことを計画していました。
ウィスコは、持ってきた鍋で5,6品の料理を作るので、調理しているところを見てもらった後、試食してもらい、鍋の良さを説明して、鍋のセットを売るという商売をしています。
それで、学校の職員を集めてもらうことをお願いされました。
その日来てもらうウィスコのスタッフには、家庭科調理室で、午前中の研修が終わる前から準備をしてもらっていました。
その日職員室にいる先生は、みんな調理室に行ってもらい、試食してもらいました。
ウィスコの方からも感謝されました。
その後、説明を聞いてウィスコの鍋のセットを購入することを決めた職員が2人いたからです。
もうすでに、この鍋を持っている先生が校長先生を含め5~6人いたのですが、2セット売れたので、ウィスコも喜んでいました。

実は私、このウィスコ株式会社でアルバイトしたことがあります。

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2009年11月24日 (火)

大学時代に会っていた

今日、小・中実践交流会があって、小学校の授業を参観してきました。

その後夕方から、小・中の教師が集まっての懇親会がありました。
私の周りに座った小学校の先生と話していると、自宅が近いということがわかりました。
さらに話を進めていくと、私と同じくらいの年齢の女性の先生から、「Wさんって私と同級生なんですが、知りませんか?」と聞かれました。
Wさんは、私の大学時代のサークルの後輩です。
すぐ「高校時代かで、一緒だったの?」と聞き返しました。
「いえ、大学時代なんです。」と言われました。
ちょっと疑問に思っていると、「大学は違うんですが、サークルで知り合って…。」
つまりそのサークルは、私も入っていたんですが、九州の各大学20校くらいが加盟している九州学生書道大会のことで、その合宿で知り合ったということだったんです。

九州学生書道大会(通称:九書)の担当校は、夏と春の年2回、加盟している20数校に呼びかけて、夏は4泊5日、春は3泊4日の合宿を行います。
夏は総勢300名は超す各大学の書道部員が集まります。
主に島原や雲仙、阿蘇で合宿を行いましたが、これだけの人数ですからホテルを貸し切って行います。
大広間では、みんなが毛せんを広げて作品作りにいそしみます。
長い時間、墨と紙が擦れる音しか聞こえない時があります。

一班12人~15人くらいで、一班にいろんな大学のメンバーが分けられます。
それが二十班くらいまであり、書道の作品を作るだけでなく、班内で係分担を決め、話をしたり、ゲームをしたりもします。
時間が合えば、他の班と「フィーリング・カップル5対5」をしたりします。
全体では、各大学ごとに紹介をしたり、班対抗のゲームをしたり、最終日はダンスを踊ったり、色紙や握手交換をしたりします。
大学時代の思い出として、非常に楽しみなイベントであり、九州各地に友達ができたイベントでもありました。
秋の大学祭シーズンには、その友達に会いに各地の大学祭めぐりをしたものです。
遠くは鹿児島、熊本、北九州、福岡と各地を回りました。
そんな懐かしい思い出をその小学校の先生が甦らせてくれました。

帰宅して、大学時代のアルバムを開いてみました。
するとその先生とは、班は全く一緒じゃなかったけど、写真には近い所で写っているではありませんか。
前から私もその先生に会うたびに、どこかで会った気がするとは思っていました。
その先生もそう思っていたそうで、違ったら失礼だからなかなか言い出せなかったそうです。
でもたまたま、今回小中懇親会で席が近くになったので、声をかけてみたそうです。
懐かしさと共に、世間は狭いなあと思った夜でした。

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2009年4月25日 (土)

お酒を飲むと…

先日、SMAPの草彅剛くんが泥酔して、裸になり逮捕されてしまいました。

逮捕された夕方、私は帰宅途中の車の中でそのニュースを知りました。
とても人気があるタレントさんなので、残念でなりません。
その後の謝罪会見で、自分でも訳がわからなくなっていたと言って、とても反省していました。
逮捕直前は自宅に帰ったと思って裸になり、くつろいでいたのかも知れません。
当分の間、テレビ、ラジオなどの出演やCM、コンサートなど芸能活動を自粛することになるみたいですが、早く帰ってきて欲しいと思います。

やはり、お酒というのは飲み過ぎると訳がわからなくなる飲み物なんですね。
私は、この頃随分お酒には弱くなりました。
それがわかっているから、あまり度を過ぎた飲み方はしません。
普段、自宅で晩酌もしませんので、お酒を飲むといったら学校関係での歓送迎会や学年発足会、忘年会、学校行事の反省会といったところです。
大学生の頃はもうちょっとお酒に強かったのではないかと思います。
冷たいビールや酎ハイよりも、燗をつけた日本酒や焼酎のお湯割りなどを好んで飲んでいました。
大学2年生の頃は、教育学部の一泊研修旅行で、ホテルで酒樽を割り、各教科代表一名が前に出てきて、樽から升に酒を注ぎ、一斉に一気飲みするときなど、私が理科の代表として前に出されたものです。
当然、一番に飲み干し、理科のメンバーから拍手喝采を浴びました。
その頃から、日本酒に強いと言われだしました。

ところが、燗をつけた日本酒や焼酎のお湯割りなど、熱いお酒が飲むのも嫌なときがありました。
それは大学2年生の時、専門の授業で「化学基礎実験Ⅱ」と「地学基礎実験Ⅱ」を同時に履修しなければならないときがありました。
しかもサークルの役員になり、忙しい毎日を送っている時で、毎日実験室に通って実験作業を積み上げることがなかなかできませんでした。
「地学基礎実験Ⅱ」は、山口県の秋吉台(美祢市のセメント原料採掘場内)で、フズリナやアンモナイトの入った石灰岩を20個ばかり採取して、それをダイアモンドカッターで薄く切り、大きなスライドガラスに貼って薄片を作り、顕微鏡で観察して地層の重なりや年代を特定する実験作業をしました。
中間発表まで実験が全然進んでなくて、当然しどろもどろで発表をした結果、担当の教授から「そんな発表でどうする。また、来年再履修するのか!」と怒られました。
その日、教授と学生数名で「中間発表反省会」として飲みに行くことになり、私は教授から注がれるまま焼酎のお湯割りをどんどん飲み干していきました。
店を出る時は、同僚に介抱してもらいながら、ふらふらで歩いて下宿先までたどり着きました。
考えれば、焼酎の一升瓶を私一人で九合ほど飲んだことになります。
頭が痛く気持ち悪くて、翌日は夕方4時過ぎまで床から起きられませんでした。
たぶんこれが今までで一番飲んだ記録であり、意識がなかった最長記録だと思います。
一時は熱いお酒や焼酎の匂いを嗅ぐだけで、気分が悪くなる時期が続きました。
それでビールやワイン、酎ハイなど冷たいお酒も飲むようになったのです。

お酒は、飲んでいる時は楽しい気分の時が多いように思いますが、飲み過ぎると体にも悪いし、後から思い出すのに限って苦い思い出が思い浮かぶんです。

P.S.「地学基礎実験Ⅱ」は、無事その時に履修することが出来ました。

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